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2024/5/19

4年ぶりのブラジルへの旅(その3: モンチアズールと「お産のヒューマニゼーション」運動)

ここに引っ張り出してきたのは、二〇〇〇年に亡くなったモンチアズールの助産師アンジェラさんの古い写真です。

彼女に付き添ってもらうお産はそれは素晴らしい体験で、ファヴェーラばかりでなく、富裕階層の家族もしばしば彼女にお産に立ち会ってもらっていました。私の次女も彼女の自宅で生まれました。そのときの体験は父親の私の人生を変えてしまうようなものでした。

しかし、アンジェラさんの活動が人に知られるようになったことが、結局、彼女の助産所の閉鎖という結果をもたらすことにもなりました。

当時のブラジルには助産師という職種も資格もなく、ドイツで取った資格でお産を取り上げていたアンジェラさんは、サンパウロ州の看護師会によって助産所を閉鎖させられてしまったのでした(一九九七年)。そのプロセスで「こんな素晴らしいお産をさせてくれる人は他にないのに!」との声が巻き上がり、「お産のヒューマニゼーション」という運動にメディアを巻き込むことに繋がりました。

モンチアズールは、アンジェラさんの死後、何年もかけて助産所を再開することができました。今はサンパウロ市の公的資金で運営され、たくさんの助産師がたくさんの家族のお産と産後のケアをしています。助産師だけで(医師なしで)お産を取り上げる施設を、ブラジルでは正常分娩センターといい、別名、セアラ州に倣って「お産の家」といいます。

写真のヴィウマ・ニシさんは、モンチアズールの助産所が再開されたときの中心的メンバーでした。私の長女(タイナ)はカンピーナスの自宅で娘(クラリセ)を産んだのですが、ヴィウマさんは車で二時間離れたサンパウロから駆けつけてくれました。写真は、タイナとクラリセと一緒にヴィウマさんの家を訪ねたときのものです。