ブラジルでの活動

私たちは、大都市サンパウロのファヴェーラ(貧困コミュニティ)「モンチアズール」で主な活動を展開しています。また、北東ブラジルの漁村「カノアケブラーダ」で活動する「光の子どもたちの会」とも連携しています。

CRIのメンバーの多くは、これら二つのどちらかの活動地でボランティアの経験をしたものたちです。

私たちは、ブラジルの人たちの暖かい懐に招き入れられて、その人懐っこい文化を学び、(ブラジル式)ポルトガル語という、おそらく日本人にとって最も覚えやすい西洋言語を身につけてきました。私たちが愛してやまなくなったブラジルとはどんな国なのか、ファヴェーラとはどんなコミュニティなのか、カノアケブラーダという漁村はどこにあるのか、ご紹介します。

ブラジルってどんな国?

日本から見て地球のちょうど反対側にある国、ブラジル。そこでは、私たちが寝ている間に人々が活動し、私たちが働き始めると人々は休みます。オリオン座は小三ツ星を上にして逆立ちし、満月の絵柄も反対向きに見えます。

その国では、先住民が暮らしていた土地をヨーロッパから来た征服民が占拠し、そこで白い粉(砂糖)を作るためにアフリカから肌の色の違う人たちを大量に連れてきて奴隷としました。

世界で最後まで奴隷制に固執したブラジルも、1888年にすべての奴隷を解放しました。当時、ブラジルは黒い粉(コーヒー)需要の一大バブルの最中で、不足する労働力は海外からの移民を誘致することでまかなわれました。ヨーロッパから何百万もの移民がやってきて、アジアからも30万人ほどの日本人が移住しました。

白い粉と黒い粉に翻弄されたブラジルの歴史ですが、その結果、異人種間の複雑な交叉が起こり世界でも最も多様な人間のグラデーションをうみました。移民たちが互いに意思の疎通ができるように、難しいポルトガル語の文法もずいぶんとシンプルになりました。現在200万人と言われる日系移民の子孫たちはブラジルの地にしっかりと根を下ろし、「日本人は信頼できる」という評判を確立してきました。

ファヴェーラって何のこと?

ファヴェーラは “favela” と書きます。ブラジルのポルトガル語で貧しい人たちの住む不法占拠のコミュニティのことを言います。近年は、ファヴェーラに住む人たちにも居住権が保証されるようになり、差別をなくす意味から単に「コムニダージ(コミュニティ)」と呼ばれることが多くなりました。

サンパウロのファヴェーラは、1970年代の高度成長期に急拡大しました。近隣の州や北東ブラジルの州からやってきた国内移民たちが、都市の間隙に自分たちでバラック小屋を建てて定住していったのでした。モンチアズールもそんなファヴェーラの一つです。

ファヴェーラというと麻薬と犯罪の巣窟のように言われますが、住人たちの大部分は田舎から出てきた素朴で勤勉な人たちです。コミュニティの中は人の目線が効いていて、周辺の一般住宅街よりも安全だったりもします。

モンチアズールのようにみんなで力を合わせてきたところでは、下の写真のようなベニア造りの風景はすっかり見かけなくなってきました。とってかわって生まれたブロック造りの家は、住人が生涯かけて建て増しを続けるので、不思議とクリエイティブな外観だったりします。

1988年頃のモンチアズールのファヴェーラ

カノアケブラーダはどこにあるの?

日本からの飛行機はたいがいサンパウロの空港に到着しますが、そこまですでに24時間から30時間ほどかかっています。カノアケブラーダに行くには、飛行機でさらに3時間半以上かけてフォルタレーザという北東ブラジルの都市に向かいます。フォルタレーザについたら、市内のバスターミナルに向かってください。カノアケブラーダまでは、長距離バスで4時間ほどです。もし、カノアケブラーダ行きのバスが行ってしまっていたら、(近くの小さな街)アラカチに行くバスに乗りましょう。アラカチからカノアケブラーダまではタクシーで20分ほどです。

「光の子どもたちの会」の保育園は、カノアケブラーダの繁華な一角からさらに15分ほど歩いて砂丘を降りた「エステーヴァン村」にあります。

早朝5時、エステーヴァン村(カノアケブラーダ)の青年たち

なぜそんなに遠いところまで行かないと行けないのか? それは、その村が世界で一番美しい村だからです。つい50年ほど前までは貨幣経済も到着していなかった村が、その美しさのために今はブラジルでも指折りの観光地になっています。

この村と私たちとの出会いは、1990年代に遡ります。モンチアズールの助産師アンジェラさんが、休暇で訪れたその村で貧しい家庭の子どもたちと仲良くなりました。厳しい貧困と急激な観光地化の狭間で翻弄される子どもたちに、モンチアズールのような教育活動を届けたい、そう願ったアンジェラさんの思いを、エヴァさんというモンチアズールの保育士さんが受け取り、モンチアズールの日本人ボランティアだった鈴木真由美さんと一緒に保育園と学童保育の活動をはじめました。

カノアケブラーダの教育活動は「クリアンサス・デ・ルス(光の子どもたち)」の会というNGOとなって現在に続いています。CRIは、エヴァさんと鈴木真由美さんが最初に村に入ったときから、彼女たちの活動と連携してきました。