当初、CRIはモンチアズールでの日本人ボランティアの活動を応援するための仕組みでしたが、それらボランティアたちが日本に帰国するにつれて、日本のブラジル人コミュニティを対象とした活動も始まっていきました。
現在は、多文化キャンプやセミナー、そして海外ルーツの子どもたちへの学習支援など、多文化共生社会の創出に向けた活動をおこなっています。帰国後のボランティアたちが、モンチアズールでえた経験とポルトガル語の力を生かして展開する活動に、日本各地のブラジル人コミュニティの若者や、まだブラジルを知らない日本の若者たちも参加してくれています。
CRI -チルドレンズ・リソース・インターナショナルは、1988年7月、サンパウロの「モンチアズール」という名前の小さなファヴェーラ(貧困のコミュニティ)で生まれました。以来、「ブラジルと日本の両方の国で、子どもたちの人生を応援する」という目的のもと、支援者の皆様からの温かい応援を受け、また多くの若者が実際にブラジルにボランティアにいくことで活動を続けてきました。これまでにモンチアズールで働いた日本人の数は、100人を超えます。その多くが、日本に帰国してからもつながり続け、力をあわせていろいろなことを一緒にやってきました。
CRIがたどった年月をイメージしやすいように、4つの時代に分けてご紹介します。
懐胎期(1988年~1993年)
・1988年7月 グループの創設
・1990年 ウテ・クレーマーさん来日
赤ちゃん時代(1993年〜2000年代初頭)
・1993年 CRIとして改称
・1993年 在日ブラジル人に向けた活動を開始
・1996年~2001年 サンパウロにおけるエイズ孤児のホームの開設
・1998年 カノアケブラーダの支援を開始
子ども時代 (2000年代初頭~2011年頃)
・2000年代初頭 日本からのボランティアの増加
・2006年 マルチカルチャー・キャンプの開始
・2009年 幼稚園・保育園の園舎建設(モンチアズール)、コミュニティ・センターの建設(カノアケブラーダ)
・2010年~現在 ブラジル学校との交流
思春期(2011年頃~2020年)
・2011年 ポルトガル語での原発事故についての勉強会を開催
・2010年 ブラジル学校の子どもたちへの支援
・2015年 UNESCOユースセミナーの開始
・2018年 ”社会イニシアティブ”世界フォーラム(WSIF)2018の開催
今後は??(2020年~)
懐胎期(1988年~1993年)
1988年7月 グループの創設
CRIは、最初は「モンチアズール・ジャパン」という名前で始まりました。当時、南米を旅していた小貫大輔(現CRI運営委員)がブラジルに立ち寄り、モンチアズールでボランティアとして働きはじめたことがスタートでした。小貫は「ダイスキ」の名で親しまれ、1993年にかけてモンチアズールの学童保育施設の台所で働くかたわら、当時ブラジルの大問題だったHIV/エイズの啓もう活動に取りくみました。
1990年 ウテ・クレーマーさん来日
小貫大輔が著書『耳をすまして聞いてごらん』(ほんの木)でモンチアズールのことを紹介したことから、モンチアズールの創始者ウテ・クレーマーさんを日本に招待することに。1か月半かけて福岡から仙台までをまわる講演ツアーを実施しました。
耳をすまして聞いてごらん
―ブラジル、貧民街(ファベーラ)でシュタイナーの教育学を学んだ日々―
1990年
小貫大輔 著
ウテさんの来日がきっかけとなり、郵便局の国際ボランティア貯金寄付金を取り付け、モンチアズールに文化センターを建てたり、幼児教育や識字教育のマニュアルを出版したりしました。
クリスマスに咲いたひまわり
1991年
ウテ・クレーマー:著、ラリッサ・シュティールリン:イラスト、小貫 大輔:訳
赤ちゃん時代(1993年~2000年代初頭)
1993年 CRIとして改称
モンチアズールを支援するばかりでなく、モンチアズールのような活動を他のコミュニティにも広げていこうと考えから、CRI-Children’s Resources Internationalと団体名を改めました。
小貫大輔が日本で資金集めをし、元ボランティアの定森徹さん(現 NPO法人クルミン・ジャポン代表)がブラジルで活動することになりました。最初は「エストレーラ・ノーヴァ」というサンパウロのファヴェーラでコミュニティ診療所と薬局を建設し、ファヴェーラの人たちにシュタイナー医療を提供することから始めました。
1993年 在日ブラジル人に向けた活動を開始
1990年に入管法が改訂されたことで、日本では、たくさんのブラジル人コミュニティが生まれていました。1993年から1996年まで3年間日本に帰っていた小貫大輔は、日本に住むブラジル人のためのエイズ予防と感染者支援の活動を始め、CRIの中に クリアチーヴォス(CRI-Ativos) というラテンアメリカ系のメンバーによるプロジェクトチームを作りました。
ブラジルで活動していた定森徹さんは、エイズ国際会議が横浜で開かれた際にHIV感染者のグループG.I.V.メンバーのアラウージョさんを連れて日本に一時帰国し、2人で全国をまわって講演会を開きました。モンチアズールの劇団を日本に招聘して、エイズをテーマにした演劇を各地で上演したのもこの頃です。
1996年~2001年 サンパウロにおけるエイズ孤児のホームの開設
1993年から準備をすすめていたエイズ孤児のためのホーム「クリアンサ・ケリーダ」が、ようやく1996年に開設されました。しかし、その主たるスポンサーだったスイスの財団との間で争いが発生し、CRIは事実上このホームの運営から追い出されることとなりました。CRIは、「クリアンサ・ケリーダ」が孤児のホームとは別団体として独立し、HIVなどの問題を抱えたファミリーに向けた保育園活動を始めるのを支援しました。
当時、北東ブラジルのセアラ州で自然分娩を推進するJICAのプロジェクト(1996年~2001年)に参加していた小貫は、定森さんをそのプロジェクトに誘い「光のプロジェクト」の愛称で知られるお産のヒューマニゼーションをめぐる活動をおこないました。当時、モンチアズールでは、アンジェラさんというドイツ人ボランティアが活動しており、お産のヒューマニゼーション運動の高まりとともにブラジル全国から注目されていました。2000年に、アンジェラさんが43歳の若さで亡くなった後も、「ヒューマニゼーション」はブラジルの医療をけん引する重要なコンセプトとして生き続けています。
1998年 カノアケブラーダの支援を開始
高校生のときから日本でCRIの活動に顔を出していた鈴木真由美さん(現 NPO法人光の子どもたちの会 代表)は、モンチアズールでの1年間のボランティア活動を終えた後、北東ブラジルのセアラ州にある「カノアケブラーダ」という漁村コミュニティに移住して、小さなシュタイナー幼稚園の立ち上げにかかわり、後にCRIから独立して「光の子どもたちの会」というNPOを立ち上げました。
子ども時代 (2000年代初頭~2011年頃)
2000年代初頭 日本からのボランティアの増加
この頃、モンチアズールにはたくさんの日本人がボランティアにやってくるようになりました。ときには、10人以上の日本人ボランティアが、モンチアズールのあちこちで働いていることもありました。当時のメンバーの一人である安藤将(現CRI運営委員)は、2003年から2006年までの3年間モンチアズールでボランティアをしていたことから、たくさんのボランティアの世話をしました。小貫大輔は2003年から2005年にかけて、再びJICA専門家としてサンパウロ市保健局に派遣され、モンチアズールとの協働で「平和のための子ども時代プロジェクト」を実施しました。
2006年 マルチカルチャー・キャンプの開始
小貫大輔が2006年に日本に戻って東海大学で教えるようになると、モンチアズールから帰国してくる人たちと一緒に日本での活動も再開していきました。特に宮ヶ迫ナンシー理沙さんと始めた「マルチカルチャー・キャンプ」は楽しいイベントで、キャンプ開催のときには多くの元ボランティアが集まって手伝ってくれることから、モンチアズールの同窓会の様相を示しました。2010年からは、東海大学の学生たちが「ベイジョ・メ・リーガ」というサークルを立ち上げ、マルチカルチャー・キャンプの開催を担っています。
2009年 幼稚園・保育園の園舎建設(モンチアズール)と
コミュニティ・センターの建設(カノアケブラーダ)
ゆうちょ財団の資金を獲得して、2008年から2009年にかけて、それぞれモンチアズールに幼稚園・保育園の園舎を、カノアケブラーダにコミュニティ・センターを建築するプロジェクトを実施しました。安藤将、元ボランティアの福井俊紀さんが中心となりました。
2010年~現在 ブラジル学校との交流
モンチアズールとカノアケブラーダで半年間を過ごし、それぞれポルトガル語を身につけ、ブラジルが大好きになって帰ってきた学生たちがいました。彼女たちは、帰国後「Beijo Me Liga(ベイジョ・メ・リーガ)(通称:ベイジョ)」という学生団体を結成して、近隣のブラジル学校「アクアレーラ」に通ったり、マルチカルチャー・キャンプの開催を引き継ぐようになりました。CRIは現在もこの活動を応援しています。
思春期(2011年頃~2020年)
2011年 ポルトガル語での原発事故についての勉強会を開催
モンチアズールから2010年に帰国した大嶋敦志(現CRI運営委員)が事務局となって、神奈川県厚木市にあったブラジル学校「アクアレーラ」の支援をしていました。 原発事故の情報をしっかりとポルトガル語で共有しようと、原発に詳しい専門家を地域の自治会館に呼んで、ブラジル人コミュニティの人たちと勉強会を開きました。
2010年 ブラジル学校の子どもたちへの支援
ブラジル学校「アクアレーラ」の子どもたちは、地域の子どもたちと外で遊ぶ時間がほとんどなく、彼らの「子ども時代」が危機に直面していることを感じさせました。大嶋敦志と「ベイジョ」の学生メンバーたちは、定期的にアクアレーラを訪れるようになりました。近くの公園や森、川に子どもたちを連れ出し、全身を使って自然と遊ぶ時間を作りました。
「ベイジョ」が引き継いだマルチカルチャー・キャンプは、毎回200人ほどの参加者が集まるようになりました。茨城や群馬、愛知、岐阜のブラジル学校が、学年単位で参加してくれます。同様のキャンプを開く他の団体も出てきて、「体験創庫かけはし」(代表:藤村哲さん)が長野や岐阜で開くキャンプには、大嶋敦志はじめCRIのメンバーが毎年応援にいっています。
2015年 UNESCOユースセミナーの開始
東海大学の教養学部が実施するプロジェクトにCRIが共催として加わり、星久美子(現CRI事務局代表)が中心となって「UNESCOユースセミナー」というセミナーを開催しています。主に神奈川県内のユネスコスクール、外国学校やインターナショナル・スクールの高校生や大学生、教員たちを招いて1泊2日の合宿を開き、「未来の学校」や「多様化する学校」、「多文化主義」、「環境」といった地球規模のテーマについてディスカッションするものです。
2018年 ”社会イニシアティブ”世界フォーラム(WSIF)2018の開催
2000年にモンチアズール創始者のウテ・クレーマーさんがオランダ人オイリュトミストのトゥルース・ジェレイツさんと始めたフォーラムで、人智学などのスピリチュアルなアプローチから社会問題に取り組む団体や個人を支援するネットワークの構築を目指す活動です。スイス、インド、ブラジルで開催された後、第4回目にあたる2018年は日本で開催されました。CRIは事実上の主催者団体としてフォーラムの開催の全般を取り仕切りました。
今後は??(2020年~)
新型コロナウィルスによる被害が世界に広がり、新しい社会のあり方が模索される時代の、新しい活動とは???
今、新型コロナウィルスの感染拡大を受けて、私たちの生活は一変しました。2020年からの世界はどんな世界になっていくのでしょうか。私たちCRIは、どんな活動を続けていくのでしょう。
新型コロナウィルスは、「世界はつながっている」ことの実感を強烈に押しつけてきます。ウィルスの感染拡大だけではありません。世界経済危機、ヨーロッパの難民危機、地球温暖化の危機…、私たちの時代を襲う危機は、すべて「世界はつながっている」ことからくるものばかりです。そんな時代への反応として、世界の各地で分離主義と自国中心主義が台頭してきています。そんな中、私たちCRIのメンバーたちは、「世界はつながっている。地球は一つしかない。人類は運命共同体、兄弟姉妹なんだ」という友愛(fraternity)の理念をたいせつにしています。この兄弟姉妹の感覚こそが、私たちがブラジルのモンチアズールとのつながりの中で学んできた、もっとも重要な肌感覚だからです。個人主義でもない、集団主義でもない、「友愛」を行動の指針に、CRIはこれからも歩みを続けていきたいと思います。