お知らせ

2020/12/11

インターセクショナリティという考え方

“Intersectionality” という概念があります。「交差性」と訳されることもあります。「人種・性別・性的指向など、個人の特性が複数組み合わさることによって起こる特有の差別抑圧(や逆に特権も)を理解するための枠組み」と言えると思います。

黒人・女性や黒人・トランス女性への特別な差別抑圧がよく例として挙げられます。日本に置き換えて言うと、外国人児童生徒の学習障害を理解するときに必要な考え方ではないでしょうか。

全国の公立小学校では、外国籍の子どもが特別支援学級に通う率が日本人の子どもの2倍ほどであることが問題となっています。中川郷子さんによると「実態を調べるために、特別支援学級にいた日系人の子どもたちに、日本語とポルトガル語がわかる私が知能検査などを行いました。すると、発達障害の疑いがない子が半数ほどいた」とのことです。

外国にルーツがあることからくる異なった発達のニーズが、何らかの学習困難と混同されてそいういうことになっているという指摘かと思います。

「混同」という見方もできるけれど、外国籍・学習困難という異なった特性が「交差」して、独特の差別抑圧を受けていると見ることもできると思います。

2020/12/5

二十歳の頃の話をしろと学生に言われて…

私の教えている学部の学生から(シェアしたポストのように)リクエストがきました。二十歳のときの自分について本を出せと。

私は二十歳まではかなり平凡に生きていたと思います。大学のバレー部に入って、バレーボールの練習と、そのあとの夕食+ビールと、麻雀、そして終電という日々でした。

ところが21歳で交通事故に遭ってバレー部をやめて、新しい人生が始まりました。

学生(黒木さん)がシェアしている雑誌はポパイですが、懐かしいなあ。その雑誌でモデルをすることになって、それがきっかけで英語を喋る友達がたくさんできました。

それからは、いつもジーパンの後ろのポケットにコンサイスの英和和英辞書を入れて歩くようになりました。テレビを見る暇があったらNHKの語学講座を探しました。ほとんど聞き取れなかった英語の授業がわかるようになり、自分の脳の中に「英語脳」が生まれていくのを感じました。

英語を話すようになって顔つきが変わったと言われます。よく、ボリビア人やその他の国の人と間違えられるようになりました。上手に発音しようとして頑張っているうちに、顔の筋肉のつき方が変わったんだと思います。

みんな、21歳のときに起きた変化でした。

24歳でアメリカに留学、27歳でポルトガル語のブラジル(モンチアズール)へ、40歳のときにはボリビアで3ヶ月過ごしてスペイン語も少しできるようになりました。

今の私の頭の中では、3ヶ国語半の脳が仲良く働いています。あれから40年近く、刺激的な人生でした。15年前に日本に帰ってきてからも、「世界」は自分の頭の中にあるので、いつも一日中世界旅行をしているような気分です。

それらの言語の習得に、ちょっとずつ恋愛が絡んでいたことも告白します。そのお話は無料では出せないので、いつかまた。

2020/12/2

Wedding with Angela?

Last night, I had a strange dream. I was marrying Angela Gehrke at a Hawaiian church. She looked young, much younger than how she was when she died.

Both she and I knew what was happening. For she had died anyway, she could look any way she wished. So she chose the age she liked, 28. Now to come to think of it, it was the year when she arrived in Monte Azul Community Association from Germany.

Angela worked as a midwife, when there was no recognition for such a professional category in Brazil. In other words, she was a clandestine professional as she assisted the births of so many babies in the favela.

She continued anyway. At points she did not have a proper visa to stay in Brazil either. A clandestine midwife in a clandestine village…

My own child was born in her house under her care. It was a holiday for the City of São Paulo. When we went to Angela’s house to pick her up, she casually asked, “Why don’t you give birth here at my house?” She was busy making plum jelly that day. We were the first couple to give birth at her cozy house in Campo Limpo.

That was the life-changing experience of my life. I will never forget the dim light, the sound of the water in the shower room, the smell from the kitchen… I probably cried louder than my daughter when she finally came to light.

The nursing association became annoyed by her practice and came to the favela to close the clinic. Mothers, professionals and media that loved, respected and supported her work went crazy. People mobilized to resuscitate her work.

In a matter of a few years, the Brazilian Ministry of Health decided to recognize midwifery as a formal profession. She went to Rio to get that diploma, by teaching at a college of nursing instead of being a student.

Angela received the diploma, was about to reopen her birthing house, then was diagnosed with cancer. She died in only half a year or so. She was only 43.

It has been 20 years since her parting. The year when she parted, we held an international conference on the humanization of childbirth in Fortaleza. The first of so many others to come. We gave her a humanization of childbirth award posthumously.

With midwifery profession newly recognized by the government, and new midwifery courses and birthing houses being open all over Brazil, the movement for the humanization grew.

So, a happy 20 years anniversary! To Angela and to the humanization conference!

2020/7/9

地球温暖化と感染症と「友愛」と

コロナの影響で、世界の二酸化炭素排出量は一時的に17%も減少しているそうです。

しかし、パリ協定で努力目標とされた「地球温暖化を1.5℃に抑制」を実現するためには、「2030年までに45%削減」を達成しなければいけません。それって、「コロナによるロックダウンを再開しないまま、あと3回同じことをやる」ぐらいのことを意味するわけです。

地球温暖化という「目に見えない」脅威を前に、私たちに何ができるのでしょうか。

その問いへのヒントは、実はコロナが与えてくれていると思います。

コロナは、私たちに目に見えないものを想像させる力を与えてくれるからです。人類は繋がっているんだ、一つの運命共同体なんだ、という「友愛」の原理を理解させる力が。

コロナが要求することは、目に見える予防ではありません。

私たちがマスクをするのは、自分が感染しないため、ではなく、自分が具体的に人に感染させないため、でもなく、「私たち」が「私たち」を守るための行為です。

人類は「友愛」を学ぶ時代に突入したのです。

アメリカでは、「私は誰にもマスクを強要されない!」と叫ぶ人がいて、それがその人の政治信念の表明のように言われています。「自由」のはき違えともいえそうですが、私は「友愛」の原理の到来を理解していないことからきているように思います。

同じことを逆の視点から見ると、事情のある人がマスクをしないことを非難するのも意味のないことで、マスクは「私たち」の何割の人がしているか、がポイントなのです。

「友愛」とは、0%対100%の問題ではないという意味です。エイズのときも、「連帯」の感覚が広がるにつれて「セーフセックス」の掛け声が「セーファーセックス」に変わっていきました。

「自由・平等」という「私と私」「私と隣人」の関係をつかさどる原理の他に、「友愛」という「私たち」のことをつかさどる原理が大切な時代がやってきたことを知らなければいけません。

近年、とはいってももう40年ほどに渡って、様々な感染症が私たちに「友愛」の感覚を教えようとしてきました。1981年に最初のエイズ患者が診断され、1990年代にエイズを巡る「連帯」の運動が盛り上がりました。その後、SARS、MERS、エボラ出血熱、といくつもの感染症が大規模に流行して、そのたびに「人類は運命共同体」の感覚が少しずつ生まれてきました。

ところが環境問題を巡る私たちの想像力はなかなか発達しません。

フラー(Buckminster Fuller)が『宇宙船地球号操縦マニュアル』を書いたのが1963年、ローマクラブが『成長の限界』を発表したのが1972年、国連のブルントラント委員会が「持続可能な開発」という言葉を打ち出したのが1987年…、国際社会は、過去50年以上に渡って環境破壊への警鐘を鳴らし続けてきました。

今、コロナというきついお仕置きを受けて、そのことが「人類運命共同体」という学びに繋がらなければ、コロナの本当のメッセージを聞き違えてしまうと思います。

感染症も、環境問題も、みんな「地球・人類運命共同体」という感覚、つまり「友愛」の原理を私たちに要求する事件だと思うのです。