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2020/7/9

地球温暖化と感染症と「友愛」と

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コロナの影響で、世界の二酸化炭素排出量は一時的に17%も減少しているそうです。

しかし、パリ協定で努力目標とされた「地球温暖化を1.5℃に抑制」を実現するためには、「2030年までに45%削減」を達成しなければいけません。それって、「コロナによるロックダウンを再開しないまま、あと3回同じことをやる」ぐらいのことを意味するわけです。

地球温暖化という「目に見えない」脅威を前に、私たちに何ができるのでしょうか。

その問いへのヒントは、実はコロナが与えてくれていると思います。

コロナは、私たちに目に見えないものを想像させる力を与えてくれるからです。人類は繋がっているんだ、一つの運命共同体なんだ、という「友愛」の原理を理解させる力が。

コロナが要求することは、目に見える予防ではありません。

私たちがマスクをするのは、自分が感染しないため、ではなく、自分が具体的に人に感染させないため、でもなく、「私たち」が「私たち」を守るための行為です。

人類は「友愛」を学ぶ時代に突入したのです。

アメリカでは、「私は誰にもマスクを強要されない!」と叫ぶ人がいて、それがその人の政治信念の表明のように言われています。「自由」のはき違えともいえそうですが、私は「友愛」の原理の到来を理解していないことからきているように思います。

同じことを逆の視点から見ると、事情のある人がマスクをしないことを非難するのも意味のないことで、マスクは「私たち」の何割の人がしているか、がポイントなのです。

「友愛」とは、0%対100%の問題ではないという意味です。エイズのときも、「連帯」の感覚が広がるにつれて「セーフセックス」の掛け声が「セーファーセックス」に変わっていきました。

「自由・平等」という「私と私」「私と隣人」の関係をつかさどる原理の他に、「友愛」という「私たち」のことをつかさどる原理が大切な時代がやってきたことを知らなければいけません。

近年、とはいってももう40年ほどに渡って、様々な感染症が私たちに「友愛」の感覚を教えようとしてきました。1981年に最初のエイズ患者が診断され、1990年代にエイズを巡る「連帯」の運動が盛り上がりました。その後、SARS、MERS、エボラ出血熱、といくつもの感染症が大規模に流行して、そのたびに「人類は運命共同体」の感覚が少しずつ生まれてきました。

ところが環境問題を巡る私たちの想像力はなかなか発達しません。

フラー(Buckminster Fuller)が『宇宙船地球号操縦マニュアル』を書いたのが1963年、ローマクラブが『成長の限界』を発表したのが1972年、国連のブルントラント委員会が「持続可能な開発」という言葉を打ち出したのが1987年…、国際社会は、過去50年以上に渡って環境破壊への警鐘を鳴らし続けてきました。

今、コロナというきついお仕置きを受けて、そのことが「人類運命共同体」という学びに繋がらなければ、コロナの本当のメッセージを聞き違えてしまうと思います。

感染症も、環境問題も、みんな「地球・人類運命共同体」という感覚、つまり「友愛」の原理を私たちに要求する事件だと思うのです。